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定価 : ¥ 690
販売元 : 小学館
発売日 : 1998-02 |
史料だけで構築された歴史学に待ったをかける挑戦的な試み。
幾つもの間接的な手掛かりから一つの答えをつむぎ出すそのプロセスはまるでミステリー小説の推理を解説しているかのようで興味深く読める。。。と、ここまでは初巻のレビューでも述べたとおり。
このシリーズは日本の歴史学の三大欠陥と著者が主張する「史料至上主義」、「宗教的・呪術的側面の無視または軽視」、「権威主義」に真っ向から対決するような独自の推論を展開するのだが、従来の歴史学の解釈への批判などが、かなりの箇所で重複して記述されている。そのため、主論の展開が遅々として進まず、回り道して何の話だったかぼやけてしまうこともあった。
元々連載ものなので、常に初めて読む人のための解説が必要なのは理解できるが、本として纏める時に整理して書き直すなどすれば更に解りやすくなるのだが、そのように手が加えられてない点が残念である。
「日本の歴史は怨霊の歴史」と言わしめているものは何か。著者の持論としている日本歴史学の欠陥「呪術的〈宗教的〉側面の無視」である。たとえば、7世紀に実在した厩戸皇子が理想化された「聖徳太子」に発展していく経過の中には「日本教」とも言うべき日本古来の伝統的宗教感情があった。仮に御霊信仰とそれを呼べば、それは仏教に影響を与え怨霊の鎮魂となっていく。日本は怨霊鎮魂こそ政治の最重要課題だった。
聖徳太子の称号「聖・徳」は何を意味するものか。「徳」は中国において為政者に最も大切とされるもので、中国伝統の徳治思想がある。一方、日本は神人〈現人神〉思想で、徳ではなく、カリスマ的である。日本は神国であり、天皇がその中心をなし、別の霊力で邪魔する怨霊を鎮魂する。「聖」とは、本来怨霊となるべき人が、善なる神に転化した状態である。「聖」と「徳」の名をもつ太子の、日本の「まつりごと」の歴史における地位は、限りなく大きい。
聖徳太子という人物が、日本史を語る中で最も重要な人物の一人であり、聖徳太子を語ることは、日本の歴史を語ることになる。厩戸皇子がなぜ「聖徳」なのか。この問いに答えるためには、この分厚い本の半分近いページを費やしている。本書を読んだ後、読者は聖徳太子関連の遺跡、太子の墓のある叡福寺、太子が建立した四天王寺、また、温泉療養に行った伊予の道後温泉を訪ねたくなるであろう(雅)
「聖徳太子編」から「平城京と奈良の大仏編」まで。
聖と徳があったから聖徳太子と“おくりな”されたのではない、というのは衝撃的なことですが、生前の業績がどう変わるのか、というのが提示されなかったので、尻切れトンボな印象でした。
「日のいづる処の天子〜」が中国に対して挑戦的(無礼極まりない)外交オンチの手紙であることは良く分かりましたし、供養する子孫がいないと偉そうな“おくりな”になる、というのも分かりました。
個人的には、なぜ政治を“まつりごと”と読むのか長年不思議だったが、それがスッキリしたのが良かったです。
この巻はほぼ怨霊信仰についての記述なので、先に3〜5巻を読んでしまっている私には、少々くどく感じてしまいました。
ちゃんと順番に読んでいればそんなことはないのでしょうが。
この巻は、僕が1番好きで1番興奮した巻です。まず、聖徳太子から始まりますが、ここでも作者は、怨霊をキーワードに、驚愕的な推理を展開してくれます。未読の方がいると思うので、内容は略。とりわけ徳の字を、おくりなに持つ天皇の考察には、いたく感心しました。どう考えても、作者の言うとおりだと思います。また、天智天皇、天武天皇の謎、持統天皇の名前の謎、天皇家の菩提寺(昔は、当然仏教徒だった)に隠された驚愕の事実など、作者が次から次へと開示してくれる、ワクワクする事実にハマってしまいました。他の方の書評にあるように、確かにモヤモヤ感はありますが、僕はそれが全く気にならない程、大きな興奮を覚え、このシリーズを終わるまで買うことを決心しました。将来この辺りの史実、教?!?書記述が変わってしまうかもしれませんよ。
聖徳太子に関しては、「徳」の付く歴代天皇の生涯を引き合いに出したり、さまざまな角度から検証を重ね、非常に読み応えのある内容だった。惜しむらくは、明確な結論を著者が導けなかったことであろう。そこまでやって欲しかった。一方、天武天皇出生の謎に就いても、同様のモヤモヤ感を覚えた。
同じテーマでの続編を待ちたい。